日本に帰ってから

蚊に刺された跡が消えない。

3箇所とも。。


モロッコ同期が

モロッコ蚊にやられて、

腕やら足やら

酷いことなって

病院通いしてるのを横目に、

『日本のより弱いじゃ〜ん♪

    何回か吸えば飽きるやろ♪♪』

と、気にせず

ホテルで蚊とともに就寝してた私。


何で!?

あせもも

モロッコでは一回もできなかったのに!

水だって

あっちの方がお腹にあってた……


うーん、

私の適材適所って(´・_・`)。。

NO MUSIC!NO LIFE!

私が

モロッコを去る翌日から

開催されるなんて……

なんたる皮肉T^T


モロッコはもちろん、

ヨーロッパ各国から

アーティストの集まる

このJazz au Chellah

今年も連夜参戦!と

意気込んでたのに……


西アフリカからも

いっぱいバンドが集まる

グナワも

二年連続参加ー♪て

思ってたのに………


日本も

帰ったら

フェスシーズン終わってるな。。


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世界は広くて狭い。

モロッコに1年ちょい住んで、
日本以外の国に
こんなに長く滞在したのは初めてで、 
間違いなく
日本では感じられなかっただろうことを、
忙しく感じる日々だった。

物事の善悪がどこにあるかではなく、
他者を受け入れるしかないということ。
正論は人を傷つけるということ。
あんなにも素敵な考え方が
できる人がいること。
まだまだ人並以下だけど、
少しは大らかになれた自分。
生き方によって
人生はその方向に向かうということ。 
必ずしも
日本に住まなくてもいいということ。
取り掛かるまでは
ほんとにできるのか?と思うことも、
やってみれば何とかなるってこと。

世界は、
まだまだ
色んな可能性を秘めていて、 
自分を啓蒙してくれる要素を
まだまだ
数え切れないくらいもっている。 
でも
世界のどこでも
自分の家にすることができて、 
世界のどこでも
迎え入れてくれる人達がいる。 

世界は広くて狭い。

備忘録『正論』

 正論ってのは往々にしてすり合わせを拒むことが多い。
「正論」だからまさに正しくて非の打ち所がない。 
妥協点も無いほどに研ぎ澄まされた正論は、時として実社会において害をなすことがある。
 正論なのに何故に正しくないのか?という疑問は当然だろう。 それを説明したい。 
 会社で行なわれる会議を想像して欲しい。 もちろんその会社における理想というものはある。会議の議題として売上をアップするにはどうしたらいいかというのは、あまりにありふれているのだけれど、その場合におけるアイデアと言うのは各部署によって様々だ。 その中には現場に苦行を強いるケースもあれば、管理側に責任をなすりつける場合もある。 そういった喧々諤々の議論の中で最終的にひねり出される案は妥協の塊だ。
 これは決してネガティブなことではなく、日常的に過去から現在に至るまで日々行なわれている。 
そのなかであまりに眩しすぎる「正論」はスポイルされる。 もっと言うならばそういった場において「正論」を振り回す者は疎まれることもある。 
なぜなら正論は正しいからだ。

練りに練った正論であれば反論のしようもないほどに正しすぎることになる。
そういった「あまりの正しさ」は反対に支持を集められない場合が多い。
集団の中で最適解を出すのが会議だとするならば、支持を集められない「正論」は結果として「空論」になってしまう。

理想と現実は常に乖離し、その埋め合わせにあくせくしているわけで、そこに正論をぶちかまされても腹が立つだけである。
それぞれに思惑があって意見もあればスネに傷もある。
理想と現実にある種のあきらめを持ち、打算と妥協のなかでひり出された「モノ」にこそ価値がある。
そういうものを作ろうと膝を突き合わせているのに、融通の効かない正しすぎる「正論」は邪魔でしか無い。

結局はアナログ的な妥協と打算で物事は進んでいくことになる。
若いうちは「正論」を振りかざし、正論を盾にして噛み付くこともあると思う。
けれど経験を重ねていくたびに正論の刺激の強さに気がつくようになる。

もう一つ、正論は時として人を傷つける場合があるということだ。
繰り返しになるが正論は切れ味が鋭い。その意見に遊びの部分が無いから弱者にとっての逃げ場が無くなる。
正論は時として人を追い込んでしまう。

正論を振りかざすのは一見正しく見えるのだが、実際はそうでないことが多いことを忘れてはいけない。
正論がその姿を変えぬまま突き進めるほどこの世の中は単純化されていない。
川原の石が流れによって角が取れ徐々に丸くなるように角ばった正論も多くのケースを想定しながら角を丸めていくことが重要だろう。




理想と現実は常に乖離し……笑

でもじゃあ、

自分の生きて行く軸は

どこに据えたらいいんだろうと、

まだまだ未熟な私は苦しい。

人と生きて行くことは

とても難しい。

くるしぃ けいん。

くるしぃ けいん!

(何でもあるぞ!)


村を求めて5時間歩き続けて

そう言われた。

コカ飲みながらタジンー!て

テンション上がってたうちら、

甘かった。


ハヌート(ちっさい売店)も

モスクも

マドラッサ(学校)もある。

それがくるしぃ けいん。
それがモロッコ基準。

はむどぅりっら。


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