おばあちゃん
仲良しもえちゃんとランチ♪
『そのクラッチかわいいねー!』
って言ったら
『おばあちゃんのだよ!』
って。
うちもだよー!笑
2人揃って
おばあちゃんバックでしたとさ*\(^o^)/*
蚊
日本に帰ってから
蚊に刺された跡が消えない。
3箇所とも。。
モロッコ同期が
モロッコ蚊にやられて、
腕やら足やら
酷いことなって
病院通いしてるのを横目に、
『日本のより弱いじゃ〜ん♪
何回か吸えば飽きるやろ♪♪』
と、気にせず
ホテルで蚊とともに就寝してた私。
何で!?
あせもも
モロッコでは一回もできなかったのに!
水だって
あっちの方がお腹にあってた……
うーん、
私の適材適所って(´・_・`)。。
一年間
一年間、
見もせず、
もちろん身にもつけなかった
洋服たち。
着たいのないなー。
むしろ、いらないって思う。
人間もそう?
悲しいけど、
もしも最悪の結果になった時、
それは希望にもなる。
時間が解決してくれる。
あながち間違いでもない、ね。
NO MUSIC!NO LIFE!
私が
モロッコを去る翌日から
開催されるなんて……
なんたる皮肉T^T
モロッコはもちろん、
ヨーロッパ各国から
アーティストの集まる
このJazz au Chellah
今年も連夜参戦!と
意気込んでたのに……
西アフリカからも
いっぱいバンドが集まる
グナワも
二年連続参加ー♪て
思ってたのに………
日本も
帰ったら
フェスシーズン終わってるな。。
世界は広くて狭い。
備忘録『正論』
練りに練った正論であれば反論のしようもないほどに正しすぎることになる。
そういった「あまりの正しさ」は反対に支持を集められない場合が多い。
集団の中で最適解を出すのが会議だとするならば、支持を集められない「正論」は結果として「空論」になってしまう。
理想と現実は常に乖離し、その埋め合わせにあくせくしているわけで、そこに正論をぶちかまされても腹が立つだけである。
それぞれに思惑があって意見もあればスネに傷もある。
理想と現実にある種のあきらめを持ち、打算と妥協のなかでひり出された「モノ」にこそ価値がある。
そういうものを作ろうと膝を突き合わせているのに、融通の効かない正しすぎる「正論」は邪魔でしか無い。
結局はアナログ的な妥協と打算で物事は進んでいくことになる。
若いうちは「正論」を振りかざし、正論を盾にして噛み付くこともあると思う。
けれど経験を重ねていくたびに正論の刺激の強さに気がつくようになる。
もう一つ、正論は時として人を傷つける場合があるということだ。
繰り返しになるが正論は切れ味が鋭い。その意見に遊びの部分が無いから弱者にとっての逃げ場が無くなる。
正論は時として人を追い込んでしまう。
正論を振りかざすのは一見正しく見えるのだが、実際はそうでないことが多いことを忘れてはいけない。
正論がその姿を変えぬまま突き進めるほどこの世の中は単純化されていない。
川原の石が流れによって角が取れ徐々に丸くなるように角ばった正論も多くのケースを想定しながら角を丸めていくことが重要だろう。
理想と現実は常に乖離し……笑
でもじゃあ、
自分の生きて行く軸は
どこに据えたらいいんだろうと、
まだまだ未熟な私は苦しい。
人と生きて行くことは
とても難しい。
くるしぃ けいん。
くるしぃ けいん!
(何でもあるぞ!)
村を求めて5時間歩き続けて
そう言われた。
コカ飲みながらタジンー!て
テンション上がってたうちら、
甘かった。
ハヌート(ちっさい売店)も
モスクも
マドラッサ(学校)もある。